もうどのくらいの月日がたったのでしょうか
私の母が入院して、退院して
在宅生活を始めて
退院当初は夏を越えられるかわからないと
医師に言われ覚悟はしていたものの
一体母のパワーはどこから湧き上がってくるのか・・・
一人でトイレに行けるようになり
食事もミキサー食を脱し
とろみをつけなくても食べられるようになって
看護婦さんには、来てもらわなくていいと断って
週二回だけヘルパーさんにきてもらって
一日は食事、トイレの見守りをしてもらい
もう一日は車椅子に乗って散歩を楽しんでいます
私たちは一日でも長く母と一緒に暮らしたくて
在宅介護の道を選びました
でも介護の負担は家にいる姉に重くのしかかります
全盲の上、いつ急変するかわからないので
気分転換にと家をあけることもできません
姉もそれは覚悟はしていました
少しでも体にいい食事をと書店をめぐり
癌にきく食事療法の本を買い漁り
研究しました
使っている食材も水もすべて替えました
糖尿病を持っている母なので
血糖値のコントロールもあり大変ですが
もと病院の栄養士だった姉は頑張ってくれてます
母の食事にはいい食材と水を使わないと
てきめんに状態が悪くなります
少しでもケチって節約しようとすると
母の体に負担がかかるのです
私のできることは惜しみなくお金を出すことくらいです
母のために精一杯いいものが作れるように
協力して話し合って、ここまでたどりつきました
愛だけでは生きられない
お金が足りないと家族の心までギスギスになる
だから私は、会社にひたすら仕事をもらい働いている
私が朝から晩まで働いていると
収入は得られても、家族は不安になる
結局お金があってもなくても
人間の不安はつきることはないのです
しかし家に病人がいると
誰よりも心を痛めるのは小さな子どもです
「なんでいつもおばあちゃんが優先なの?」
娘に言われてはっとしました・・・
娘が何も言わないのをいいことに
甘えていたんです
母の苦しみ、姉の苦しみ、娘の葛藤
ここでは書ききれないいろんなことがありました
でもひとつだけ確かなことは
どんな状況に陥っても
笑顔と希望だけは失ってはいけないということです
私は今すべてのことに
「大丈夫、なんとかなる」と楽観的に考えてます
時々姉がイライラして子どもや母に八つ当たりしても
責めたりせずに「苦労をかけてごめんね」と謝っています
そして「大変だろうけど大きな声は出さないでね」とお願いしています
完璧な人間なんてどこにもいません
だからどんなことでも受け止めて、許しています
今の私にできるのはそのくらいです
娘はだんだん穏やかになっています
姉も最近は笑顔を見せるようになり
落ち着いてきたように感じます
母は遠慮して何も言えなかったのが
自分の言いたいことが言えるようになってきました
それが、一番いいのです
私の日課は、夜21時に娘と一緒に寝て
夜中2時に起きて、母の血糖値を計ります
それから明け方まで起きて見守りをします
母を見守りながら
来月下旬に迫った介護福祉士の勉強をしています
母にいい報告ができるように絶対合格したいです
週に一回は早く帰宅するので母をお風呂に入れています
そして日曜日は、家族の食事は私が作っています
母の食事は特殊なので姉の担当です
それでも姉は助かると言ってくれてます
家族四人で暮らせる時間が、あとどのくらいなのかは
神様しか知る由はありません
でもこうして暮らせていることは
奇跡のように感じています
子どもや家族の不安や哀しみを受け止め
喜びをわかちあって
たくさんの思い出をつくっていきたいと思います
これから先はただ生きるのではなく
喜びのある日々を送っていけたら、と思っています
私の母が入院して、退院して
在宅生活を始めて
退院当初は夏を越えられるかわからないと
医師に言われ覚悟はしていたものの
一体母のパワーはどこから湧き上がってくるのか・・・
一人でトイレに行けるようになり
食事もミキサー食を脱し
とろみをつけなくても食べられるようになって
看護婦さんには、来てもらわなくていいと断って
週二回だけヘルパーさんにきてもらって
一日は食事、トイレの見守りをしてもらい
もう一日は車椅子に乗って散歩を楽しんでいます
私たちは一日でも長く母と一緒に暮らしたくて
在宅介護の道を選びました
でも介護の負担は家にいる姉に重くのしかかります
全盲の上、いつ急変するかわからないので
気分転換にと家をあけることもできません
姉もそれは覚悟はしていました
少しでも体にいい食事をと書店をめぐり
癌にきく食事療法の本を買い漁り
研究しました
使っている食材も水もすべて替えました
糖尿病を持っている母なので
血糖値のコントロールもあり大変ですが
もと病院の栄養士だった姉は頑張ってくれてます
母の食事にはいい食材と水を使わないと
てきめんに状態が悪くなります
少しでもケチって節約しようとすると
母の体に負担がかかるのです
私のできることは惜しみなくお金を出すことくらいです
母のために精一杯いいものが作れるように
協力して話し合って、ここまでたどりつきました
愛だけでは生きられない
お金が足りないと家族の心までギスギスになる
だから私は、会社にひたすら仕事をもらい働いている
私が朝から晩まで働いていると
収入は得られても、家族は不安になる
結局お金があってもなくても
人間の不安はつきることはないのです
しかし家に病人がいると
誰よりも心を痛めるのは小さな子どもです
「なんでいつもおばあちゃんが優先なの?」
娘に言われてはっとしました・・・
娘が何も言わないのをいいことに
甘えていたんです
母の苦しみ、姉の苦しみ、娘の葛藤
ここでは書ききれないいろんなことがありました
でもひとつだけ確かなことは
どんな状況に陥っても
笑顔と希望だけは失ってはいけないということです
私は今すべてのことに
「大丈夫、なんとかなる」と楽観的に考えてます
時々姉がイライラして子どもや母に八つ当たりしても
責めたりせずに「苦労をかけてごめんね」と謝っています
そして「大変だろうけど大きな声は出さないでね」とお願いしています
完璧な人間なんてどこにもいません
だからどんなことでも受け止めて、許しています
今の私にできるのはそのくらいです
娘はだんだん穏やかになっています
姉も最近は笑顔を見せるようになり
落ち着いてきたように感じます
母は遠慮して何も言えなかったのが
自分の言いたいことが言えるようになってきました
それが、一番いいのです
私の日課は、夜21時に娘と一緒に寝て
夜中2時に起きて、母の血糖値を計ります
それから明け方まで起きて見守りをします
母を見守りながら
来月下旬に迫った介護福祉士の勉強をしています
母にいい報告ができるように絶対合格したいです
週に一回は早く帰宅するので母をお風呂に入れています
そして日曜日は、家族の食事は私が作っています
母の食事は特殊なので姉の担当です
それでも姉は助かると言ってくれてます
家族四人で暮らせる時間が、あとどのくらいなのかは
神様しか知る由はありません
でもこうして暮らせていることは
奇跡のように感じています
子どもや家族の不安や哀しみを受け止め
喜びをわかちあって
たくさんの思い出をつくっていきたいと思います
これから先はただ生きるのではなく
喜びのある日々を送っていけたら、と思っています
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by sawayaka37
| 2010-12-06 03:29